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【NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴん特別企画】おうちで古文書、おうちで資料保全 その3(最終回)

※2020年5月2日に誤字脱字のご指摘を頂き訂正致しました。

NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴん代表理事の西村慎太郎です。

本来でしたら、本日まで南伊豆町肥田家文書保存・調査活動でした。

さて、おとといからはじまった南伊豆町肥田家文書保存・調査活動代替企画、

「おうちで古文書、おうちで資料保全」の第3回目(最終回)です。



享保15年の「秣山論石部・岩地願書扣写・同當村返答書之扣写」。

伊豆国伊浜村と岩地村・石部村との山の土地をめぐる争論の話しです。

肥料である秣を手に入れるに使うため、伊浜村・岩地村・石部村などで使う共有土地を、

伊浜村の人びとが立ち入らせてくれなくなった、ということを岩地村・石部村が訴えます。



これをうけて幕府評定所では、伊豆国伊浜村と岩地村・石部村を対決させますが、

そもそも伊浜村の主張も記されているので、今日はそちらを読んでみましょう。














機翻刻

     乍恐以返答書ヲ申上候御事
一、石部村・岩地村御訴訟申上候者、伊濱村之内大野ト申山ニ而、
往古より秣・刈敷入会ニ苅来候處、伊濱村之儀、去酉之
春太田備中守様御知行所ニ罷成候ニ付、入會之場所
指留候由申上候儀、無跡形茂偽ニ而御座候、尤當村ニ
大野と申場所無御座候、伊濱村之儀南ハ海面、東・
西・北三方ハ山立分り、村境・山境共ニ分明ニ御座候ニ付、
山續之村方共及異論ニ申義無御座候、古来より
相極候通り之境切ニ支配仕、他村より入會と申村
無御座候、別而山續之雲見村とハ山押立、伊濱村
内山長者屋鋪浪入山ト申所より高そうりと申山之
峯通り見通シ、古来より之境堀御座候、礒表ハ長ツ
崎を限り濱境ニ御座候、此外蛇石・市之瀬村山續之村ニ
御座候得共、古来より山境相立、尤入會ニ而無御座候處、
石部村・岩地村之義者、雲見村ヲ打越シ、格別ニ相隔り
候村方ニ而御座候處、何之由緒・證據ヲ以伊濱村之
秣山江入會之由出入申懸候哉、難心得奉存候、
此儀者拙者共去春御知行所ニ相渡り候ゆへか、
両村申合、當正月より伊濱村山内馬よせか久保
と申所へ大勢押掛、右林山林之木ヲ伐採り申ニ付、
伊濱村より急度指押へ、尤所持仕候なた幷前々
取置候品々證拠別紙ニ記置申候、且又右論所
伊濱村より手遠鎌入不申由申上候段、大キ成偽りニ而
御座候、右場所浪の山ひら七・八合迄ハ、當村
切替畑之場所ニ而御座候、近年ハ猪鹿大分入込、
難防成、當時荒シ置申候、然共右山之際まて
今以田畑作仕、御年貢上納仕来申候、伊濱村
秣・苅敷取場之義者、此場所ならてハ無御座候、
一村成共入込候得者、伊濱村惣百姓退轉仕義ニ
御座候、其上雲見村・岩科村・子浦村此三ヶ村も、
伊濱村山江入會之由、両村より申上候、右三ヶ村も曽而
入會ニ而者無御座候、尤右三ヶ村入會へ御座候ハ者、
伊濱村同前ニ両村差留可申處ニ、山廻り等之義ハ、
山元伊濱村ニ為致、秣・苅敷入会ニ苅申候ハ者、
是ハ山元より結構成入會ニ而御座候ニ付、猶又
慥成由緒・證拠無之候而ハ、入會とハ被申間敷
奉存候、御吟味被下置候得者、明白ニ相知申義ニ
御座候、惣而山入會之村方ハ由緒・證拠有之候哉、
古来より山代出シ候か、或ハ山役相勤入會申義ニ御座候、
自然盗苅抔ニ参候節ハ、国法ニ而鎌・牛馬之
鞍等指押へ取申候、尤無相違相渡申儀ニ御座候、
一、石部村・岩地村入會之為證拠申上候者、御代官
様御代り之度々村差出帳面ニ伊濱村秣山江
入會来候由書付、三嶋御役所へ相納置申候段
申上候、拙者共村方茂右御一料之節より伊濱村
山内へ他村より堅ク入會之村無御座候と、村指出帳面ニ
書記、三嶋御役所へ相納置申候、石部村・岩地村之義ハ
不及申ニ、其外村々より入會と書上ケ候義ハ、拙者共
曽而不存事ニ御座候、此度両村申合、公事
工仕、色々と手立ヲ以申掠、困窮村難儀為致、
迷惑至極仕候、乍恐御吟味奉頼上候、
一、両村より申上候ハ去夏中より右野へ両村参候得者、
伊濱村之者共罷出、打擲仕、鎌・牛馬之鞍押取、
為苅不申、番人附置、指留申候由申上候、此段ハ
岩地村如何様之存念ニ御座候哉、去七月俄ニ
村之中申合、漁船五艘ニ而、人数六拾人余石部村・
雲見村ヲ打越シ、伊濱村内山大久保と申所へ右之
大勢押懸、草薪苅申ニ付、伊濱村百姓作場
居合候者共懸付、草薪指押へ、為證拠鎌
四枚取置申候、其節伊濱村万四郎・谷吉と
申者強ク改候迚、山かけにてしはり置、打擲
仕候ニ付、山より直ニ岩地村名主方へ相断可申由、
居合候者共申候處ニ、岩地村彦左衛門と申
者申候ハ、重而堅ク盗苅ニ参申間鋪候間、
([頭注]「當村なるへし」)其分ニ相納呉候様ニ達而申候ニ付、其方ニ差置
申候處ニ、却而両村之者ヲ打擲仕候と偽り申上候
儀、非道千万ニ奉存候、且又両村申上候ハ、元来
地元之儀ニ候間、色々相侘候由申上候、往古より入来候
場所、縦何分指留候迚、侘可仕子細有之間鋪候、
其上當二月三嶋御役所へ訴状指上ケ仕、御役所より
御添状ヲ以道部御役所へ右両村名主・組頭
御訴申上候ニ付、早速拙者共被召呼、委細
御尋ニ付、古来より入會ニ而無御座候段、返答書仕、
三嶋御役所へ差上ケ申候、其以後何之沙汰茂
無御座候間、右両村之者共手前非儀之段
相考申止メ仕候哉と存候處ニ、松崎村名主孫兵衛・
道部村名主十左衛門・岩科村名主武助、右三人
取扱ヲ以相済度旨申合、石部村・岩地村両村を
松崎村名主孫兵衛指留申由ニ御座候得共、拙者共
方江者否之訳も無御座候、尤同領岩科村
名主武助・道部村名主十左衛門申候ハ、野末之儀
山代為出候与成共、少々茂為苅呉候様ニ仕候ハ者、
取扱度旨松崎村名主孫兵衛申候由、内意申候
得共、古来より近村ニさへ為苅不申候所、相隔り候
両村縦山代出候迚、少々ニ而茂為苅申筋ニ相成候
而者、伊濱村之百姓山稼一通り之村々ニ御座候得者、
末々及難儀候義、惣百姓合点不仕旨、挨拶
仕候、依而取扱之義、曽而無御座候、且又右之場
所大場ニ御座候由申上候、是又左様之場所ニ而
無御座候、縦野廣御座候迚、俄入會ニ可罷成筋
無御座候、たゝ石部村近年開発仕候新田畑
伊濱村相願候迚、配分致し、(ママ)
為作可申哉、両村申分不埒成義奉存候、
一、當二月両村より道部御役所江相願候ニ者、野元
雲見村・伊濱村ニ附、大野と申所四ヶ村共ニ、前々
より入會来候由、三嶋御役所幷道部御役所へ
訴状差上ケ置候處ニ、此度ハ子浦村・岩科村
差加へ、五ヶ村共ニ伊濱之内大野と申所入會ニ而、
御座候様ニ申上候、此度二ヶ村書加へ候義、如何様
成工ニ御座候哉、色々と前後相違成義申上候、
乍恐御慈悲ニ御吟味奉願上候、且又伊濱村
内山大久保と申場所、畑方多分御座候得共、
猪鹿大分入込、難防場所ハ当時荒置、
任勝手ニ茅かや等仕立置、近浦入津之
村々賣、代替夫食之足りニ仕候所、去七月
岩科村之者共理不尽ニ押懸ケ、草薪苅取、
剰及狼藉ニ候義、偽無御座候、右荒場之義、
今以御年貢上納仕来申儀、紛無御座候、
一、石部村・岩地村両村共ニ、秣苅敷山、其村々ニ
應シ内山御座候所ニ、村方内證宜敷まかせ、
近年夥敷新林仕立、其上新田畑多分
開発仕、秣・苅敷不足之由御願申上候義、
難心得奉存候、殊ニ岩地村之義ハ、田方
一圓無御座候、畑方斗之村ニ而御座候故、古来より
牛馬等も所持不仕候村方ニ御座候所、秣・苅敷
不足之義有之間鋪様奉存候、当年出入可仕
工ニ当春牛馬少々相求候由ニ御座候、此村之
義ハ魚漁第一、殊ニ諸廻舟入津之浦ニ而、
格別之助成有之村ニ而御座候、其上魚漁
致候故、手前畑方肥シニ用イ、餘計之分在方幷
諸廻舟へ賣渡、村中助成ニ仕候處、此度
石部村申合、困窮之百姓仕詰メ候義、迷
惑至極仕候、当村御知行所ニ罷成候故か、
何之由緒・證拠もなく、山入會之出入申懸候
ハヽ、此以後御知行所ニ相渡候村方ハ山入會
之出入可申出候哉、左候ハヽ末々共ニ難義之筋ニ
乍恐奉存候、此上理不尽狼藉不仕候様ニ、
被為 仰付被下置候様ニ奉願上候、
右之通毛頭相違之儀不申上候、石部村・
岩地村之儀浦方・山方共相稼候村方ニ而
御座候故、手前任宜敷、此度難題之出入
申懸候義ハ、拙者共去酉春御知行所ニ
相渡候ヲ手懸りニ仕、困窮之村御訴も
難成所ヲ見届、去夏より俄ニ両村申合セ、
理不尽狼藉仕候段、不届千万奉存候、
伊濱村之義、海邊ニ御座候得共、荒濱ニ而、
魚漁稼ハ一切不仕、作方之義も汐風ニ而、
年々悪作仕、百姓難儀成村方
御座候共、山稼斗ニ而、御年貢幷諸役等
不足百姓・水呑夫食之足りニ仕、渡世仕
来申相候、御慈悲ヲ以向後石部・岩地両村伊
濱村山へ前々之通り堅ク入不申、永々理
不尽狼藉不仕候様ニ、乍恐被為仰付被
下置候ハヽ、難有奉存候、以上、
 享保十五年戌九月
           太田備中守領分
             豆州加茂郡伊濱村
                     名主 五郎右衛門
                     組頭 助左衛門
                     百姓代 孫左衛門
 御奉行様



供内容把握
去酉之春:享保十四年(一七二九)。館林藩主・太田資晴が二月二十五日に伊豆国内で領地を拝領したことによる。

無跡形:証拠がない。

押:(接頭語として)仝貔を強める。「おしとどめる」など。¬詰に…する。しいて…する。「おしつける」など。

峯通り:尾根伝いの意か。山の尾根を伝って行く、あるいは尾根伝いに見えること。山の稜線に沿って行く、稜線に沿って見えること。

礒表:海岸・浜の波打ち際になっているところ。

蛇石(じゃいし):伊浜村の東。北隣の岩科村との境に蛇石峠があり、松崎から下田へ至る道となっている。近世初頭は幕府領、元禄十一年(一六九八)旗本天野領となり、幕末に至る。元禄郷帳では高一五五石余。

市之瀬村:市野瀬・一瀬・一之瀬・市ノ瀬とも記す。慶長三年(一五九八)の西浦市ノ瀬郷御縄打水帳が遺されている。近世初頭は幕府領、元禄十一年(一六九八)旗本筑紫領となり、幕末に至る。

合:〕椴未涼碓漫0豺腓楼貍の一〇分の一。地積の単位。一合は一坪の一〇分の一。山や丘などで頂上までの登山の道のりなどの一〇分の一。

切替畑:森林または原野、あるいは焼き畑などの農業で輪転する畑の総称。史料では切替・切畑・切山。数年間、主としてあわ・ひえ・そば・まめ・いもなどを作り、地力が衰えると再び森林または原野とする。

山役:近世の入会山の材木を対象に課された小物成。山年貢(山高に課される年貢)と混同とは異なる。

自然(しぜん・じねん):ここでは、もしかしたら、ひょっとしたら、万一なでの意味で、仮定の助詞が後に付く。

国法:国の掟の意味。近世においては幕府が発した触を指す。

公事:裁判。

申掠:巧みに話しをして相手をごまかす。

作場(さくば):農作物を作る所。耕作地。田畑。

懸付:駆け付ける。

強ク:厳しく。

迚:格助詞「とて」の当て字。 屐弔噺世辰董廖屐弔隼廚辰董廚琉奸↓¬樵阿鯢修錣溝慮世鬚Δ院◆屐弔箸い辰董廚琉奸

縦(よしんば):たといそうであったとしても。仮にそうであっても。仮に。

非儀:非義。義理にそむくこと。道理にはずれること。

野末:野のはて。野のはずれ。

山代:山に立ち入る代金の意か。
 ※山年貢:近世の百姓持の山に課された小物成。同じ山でも山高と呼ぶ高が定められた山の年貢は、田畑同様に本途物成の内に入れ、小物成を課する山は高外のもの。

一通り:ここでは一筋の意。

合点(がてん・がってん):]族痢ο歌・俳諧を批評する際に、良いものに点をつけること。村名・人名を書き並べた文書などに鉤型に印をつけること。とくに回状などを見終わり、承知の意を示すために自分の名前の上につけた鉤型の印。承知すること。なるほどと納得すること。せ情を理解すること。覚悟していること。

曽而:かつて。

野廣:場所がやたらに広い。ひろびろとしている。

茅かや(ちがや):イネ科の多年草。屋根の茅葺に用いた。茅、白茅

売代(うりしろ):売って金銭に換える品物。物を売って得る代金

夫食(ぶじき):農民の食糧。

剰:(おもにマイナスのイメージとして)その上。

仕詰メ:追い詰める。

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