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立科町すずらん学級「郷土の歴史文化を学ぶ教室」を開催しました。

NPO法人歴史資料継承機構じゃんぴんです。

2019年3月17日午後1時30分より長野県立科町中央公民館において、

立科町すずらん学級「郷土の歴史文化を学ぶ教室」を開催致しました。

「芦田宿本陣に遺された裏張りの古文書たち-その歴史と裏張りはがし体験-」という内容で、

芦田宿本陣の下張り・裏張り文書について代表理事・西村慎太郎がお話しし、

その後、会員の杉山晴香さんが芦田宿本陣の壁下張り文書解体のワークショップ行いました。

立科町すずらん学級に御招き頂いた教育委員会の皆さま、

ご参加頂いた皆さま、ご所蔵者には心より御礼申し上げます。



なお、当日配布レジュメのテキストについては下に貼ります。

PDFをご入用の方は当会まで御連絡ください。

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2019年3月17日(日)立科町すずらん学級
芦田宿本陣に遺された裏張りの古文書たち -その歴史と裏張りはがし体験-

西村慎太郎・杉山晴香

今回の課題
・芦田宿本陣土屋家の歴史と古文書
・襖や屏風の下張り・裏張り文書って何?
・襖や屏風の下張り・裏張り文書ってどうなっているのか?
・下張り・裏張りの解体をやってみよう!!

機О嘉捗彬椰愿擴芦箸領鮖砲噺妬現
本陣とは?  江戸時代の宿場で大名・勅使・宮門跡・公卿・旗本などが休泊した施設。
寛永12年(1635)の参勤交代制実施以降により一般化。五街道宿駅は幕府から本陣給・
脇本陣給が下付された。
・土屋家:中山道芦田宿本陣。その他、芦田宿問屋や宿名主も兼任。武田家の家臣であ
る土屋家(のちの土浦藩主土屋家)に連なる家。
・芦田宿:中山道26番目の宿場。慶長2年(1597)に岩間(山浦)忠助と土屋右京左衛
門が宿場を開くことを命じられたという由緒あり。天保14年(1843)の規模は本陣1軒・
脇本陣2軒・旅籠6軒・商家22軒。上りの長久保宿(長窪宿。現小県郡長和町)へは笠取
峠を越えて1里6町の位置であるため、小さい宿場であるが、宿泊・休憩の拠点であった
ものと思われる。幕末には小諸藩生糸改所が設置。なお、周囲の芦田村は一貫して小諸
藩領。天保5年(1834)の石高は2,472石である。
・芦田宿本陣土屋家文書:2003年に長野県立歴史館寄託
 ⇒本陣改築に当たって壁の裏張り発見
 ⇒2015年3月14日 「平成26年度長野県地域発元気づくり支援金活用事業」として、
西村が立科町で講演 ⇒ 教育委員会より西村へ土屋家裏張りの保全を依頼

供Р┐籌風の下張り・裏張り文書って何?
・当時は不要な紙を貼って襖や屏風の下張り・裏張りに利用
・下張り・裏張りとは? 襖・屏風などの下地に貼るもの
⇒下張り・裏張りの解体したところ…それまで知られていない歴史発見
掘Р┐籌風の下張り・裏張り文書ってどうなっているのか?
※下地骨:襖・屏風の骨格部分。◆ΝΔ肋蔑の場合あり
々縛り(骨格縛り):下地骨の歪みと透けるのを防ぐために丈夫な和紙で骨に糊付け。
12枚〜18枚程度
胴張り:下地骨の脂を吸収する。泥間似合紙(雁皮紙)などを使用して、薄い糊を全
面に糊付け。12枚程度
L張り(蓑掛け):少しずつ蓑のようにずらして貼る。重なる部分が3層であるのが
一般的(三遍蓑)。骨の縦部分に強い糊を付ける。下張りに弾力性を持たせて、襖・屏
風が反ることを防ぐ。36〜48枚程度
ぬ縛り(蓑縛り・蓑押さえ):蓑張りを平らにするため全面に糊付け。12〜18枚程度
マ△営イ蝓壁發営イ蝓β淞イ蝓法Чと上張りの温湿度差による伸縮を緩和し、乾燥に
よって裂けることを防ぐ。2回行う場合は1回目を上袋(上浮け)、2回目を下袋(下浮
け)と称する。四方に糊付け。15〜24枚程度。
清張り:全面に薄い糊で貼る。12〜18枚程度。

検Р篠イ蝓ξ張りからの発見の事例
・1984年 大徳寺塔頭・徳禅寺方丈襖絵下張りから500点の中世文書発見
 ⇒伴野荘(佐久市伴野)関係文書7点 / 中世東国商業史の重要古文書
・安国寺恵瓊(豊臣秀吉側近)の文書が安芸安国寺(現・不動院)に伝来
 →襖の下張りに→近世中期の住持・高誡によるレスキュー→巻子仕立て

后О嘉捗彬椰悄ε擴芦箸諒匹涼罎領鮖飽篁
・修復に伴い壁の中から古文書が発見(ー蟒い、芦田村土地支配に関わる横帳、
人馬継立に関する竪帳)
・芦田宿本陣土屋家文書(長野県立歴史館寄託)との比較
 ⇒「人馬賃銭請払帳」:1日ごとの人足・馬の書上 / 横帳
 ⇒「上下人馬日〆帳」:「人馬賃銭請払帳」と同様 / 横帳
 ⇒「助郷人馬元附帳」:周辺村落から人足・馬の書上 / 横帳 / 襖裏張りの内容と
同一


(松井輝昭「下張り文書の保存と地域史研究」(『記録と史料』2、1991年)転載)

一、上 九條様御内福田出雲様      軽尻壱疋
一、下 羽州佛白寺           本馬壱疋
一、下 無帳              軽尻壱疋
一、上 日光安居院御内市川利兵衛殿   人足壱人
                    軽尻壱疋
〆人足弐人 馬六疋         上 軽尻四疋
                    人足弐人
                  下 本馬壱疋
                    軽尻壱疋
右之通御座候、已上、
                  問屋祐左衛門(印)
                  年寄助右衛門(印)
 正月十八日
一、上 遠山勘右衛門様御飛脚      本馬壱疋
一、下 紀州中村善六様         本馬三疋
〆馬四疋              上 本馬壱疋
                  下 本馬三疋
右之通御座候、已上、
・上:上り。茂田井宿・望月宿へ向かう。
・下:下り。長久保宿に向かう。
・九條様:京都の公家で摂関家
・軽尻(からじり):人が乗って、5貫目(約18.75圈砲泙任硫拱をつけた馬。人
が乗らなければ、21〜22貫目まで可能。賃銭は明暦元年(1655)以後、本馬賃銭の3
分の2程度を原則とした。
・本馬(ほんま):慶長6年(1601)東海道に下された「御伝馬之定」では本馬1駄に
つき30貫目、翌年、40貫目(150圈砲基準重量となる。正徳元年(1711)東海道定
賃銭によれば本馬94文、軽尻61文、人足47文。
・無帳:詳細不明。
・日光安居院:日光山の僧院。
・遠山勘右衛門:旗本・遠山家。浦賀奉行を務めた遠山景高を輩出。一族に北町奉行・
遠山左衛門尉景元がいる。
・紀州:紀州徳川家。


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西村慎太郎
・NPO歴史資料継承機構じゃんぴん代表理事・人間文化研究機構国文学研究資料館准教授
・haniwa28@hotmail.com





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